いや、正確に言うならば「自分の存在価値は職場だけで決められるものではない」と言った方が良いだろうか。
『仕事に生きる』と言うのも素晴らしいことで、それだけ仕事に情熱を燃やせるということは簡単ではなく本当に素晴らしい。仕事でうまくいけば自信になる。仕事で良い評価が得られれば、自分だけではなく他人からも認められたこととなる。
しかしそれだけじゃないはずだ。仕事に生きていた人が、種々の理由で仕事をしなくなった時、その人の存在価値は無くなってしまうのだろうか。そうじゃないだろう。
大切なのは、どこに所属していても、あるいはどこに所属していなくとも、自分の価値は自分で決めるということではないか。
誰かのために生きている訳ではない
まずもって、我われは誰かのために生きている訳ではない。
ある人は、子供のためとか、配偶者のために生きているという方も居るだろう。誰かのために頑張るということも大切なことで、例えば、子どものためと思えば辛い仕事も乗り越えられるということもあるだろう。そういうことで自分の存在価値を認められているならば、それは素晴らしいことだ。
しかし、私には何もない、誰も私を必要としていないと思ってしまっている方も居るかもしれない。ひょっとしたら、誰かに「お前には価値がない」なんて言われたことがあって、自分には本当に価値がないと思わされている場合もあるかもしれない。
聞いて欲しい。「あなたは生きているだけで素晴らしい」
会社・組織のために生きている訳ではない
冒頭に示した通り、毎日仕事に頑張ってきた人が種々の理由で仕事をしなくなった時、その人の存在価値は無くなってしまうかと言えばそうではない。
毎日決まった時間に出社しバリバリ仕事をこなしてきた人が、何らかの事情で仕事を辞めた時、急に『何もない自分』になってしまう。いや、それは仕事を無くしたということで、あなたの存在価値を無くした訳ではない。
仕事を辞めていないにしても、毎日職場で酷いストレスを抱えている人もいるかもしれない。必要なマインドは「別にここじゃなくても生きていける」というマインド。「自分にはここ(職場)以外で認めてもらえる場所がある」「自分の居場所はここだけじゃない」と思うことだ。
いずれにせよ、自分の存在価値というのは職場に求めすぎてはならないと思うのが筆者の考えだ。
冒頭に示したように、どこに所属していても、あるいはどこに所属していなくとも、自分の価値は自分で決めるということが大切ではないか。
他人と比べることはやめる
よく言われることだが、他人と比べるのは止めよう。
そう言われても実践することは難しい。ついつい友達と自分を比べてしまう。ついつい肩書で比べてしまう。親からも兄妹と比べられて育ってきた。上司から同僚との成績を比べられて叱責された。
『他者との比較』は根強くいつも我われの心の中に存在している。
他者との比較の中で、「負けたくないから頑張れる」というような、良きライバル心というのは良い側面だ。しかし他者と比較したところで、自分が惨めな思いをするばかりであったり、辛いばかりならば、やはり比べてしまう癖を自分で修正していく方がいい。
色々と偉そうに記しているが、筆者も全く他者と自分を比べないかと言われればそうではない。それでも基本的には、自分には自分だけの存在価値があると思っている。別に万人に好んでもらう必要もない。自分が信頼できる人が一人でも二人でもいれば十分だ。
自分の存在価値は自分が決める
自分には全く存在価値がないと感じている方に「あなたには生きているだけで価値がある」と言っても、何の助言にも何の救いにもならないかもしれない。しかしそれでも、敢えて言う。
そして、仕事を離れたとしても存在価値が無くなると言うことでもないと言うことも改めて伝えておきたい。
誰よりも真っ先に自分が自分の存在価値を認める。自分の存在価値は自分で決める。