「若い時の苦労は買ってでもしろ」について考える

実践・雑記
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「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。嫌悪感を感じる方、肯定的にとらえる方それぞれだろう。おそらく、若い方々においては反発心を抱く方が多いのではないか?

この言葉自体の捉え方は様々あろうかと思うので、本記事に記すことは筆者の個人の考えであることを断っておく。ちなみに筆者はただの社会福祉士であり、偉い人でもなければ、もちろん哲学者でもない

苦労は買わずとも向こうからやってくる

正直、苦労というのは願わなくとも、勝手に向こうからやってくる場合が多い。苦労を「買ってでも…」については、それくらい価値があることだということを強調するための言葉だろう。

筆者個人的には、「苦労」というよりも「様々な経験」という風に捉えたら良いと思っている。

若い時の経験が財産になった ‐筆者の経験‐

(筆者の経験に関心が無ければ読み飛ばして下さい)
苦労という表現にふさわしいか分からないが、筆者には若い時の経験があって良かったと感じていることがある。

それは初めてソーシャルワーカー(相談員)として勤務した障害者相談支援事業所においての経験である。

当時の上司は『どんな相談でも対応する主義』で、新規相談もガンガン受け付けるし、他で断られているような案件でも即YESの返事をする方だった。いわゆる困難事例を山ほど扱っていた。

そんな上司の下で働くと、当然、筆者も同じように動くこととなった。おかげで『個性豊かな』クライエントに出会い、本当に様々な支援に携わらせてもらった。

当初は右も左もわからず、何をして良いか分からずに立ち尽くす日々で辛いことばかりだった。しかし少しずつ、本当に少しずつだが、やれることが増え、自信もついてきた。

あれから十数年経ち、今は「あの事業所で働いていた頃を比べれば今は余裕だな」「あの頃は、今よりもっともっと個性的な人たちを担当してたな」などと、『これくらいの強度なら全く問題ない。やれる』と自分で自信を持てている

当時の苦労・大変さを思えばこそ、今が大丈夫と思えるのだ。

苦労した分のメリットとは

経験値が上がる

当然のことながら、「やったことがある」のと「ない」のでは全く違う。

初めてトライすることは不安だ。見通しも効かず右往左往することだってある。しかし何にせよ一度やってみることが大事だ。うまくいったなら、また同じようにトライしてみればいいし、失敗したなら次は失敗しないような対策を練ればいい。相談業務は全く同じケースというのは無いが、それでも何件も何件もケースを取り扱っていけば、徐々に自分の調整能力や問題解決能力が上がっていく。

経験があなたを育てる。

打たれ強さを身に着けられる

失敗して落ち込むことがあるかもしれないし、ミスをして上司に叱られることもあるかもしれない。福祉士の仕事をしていれば人を相手にする訳で、理不尽に怒鳴られたりすることだってある。

出来ればそのようなことは経験したくないとは思うし、そういうことが無ければ、平和で安全で自分も傷つかない。しかし色々と経験をしていれば、少々のことでは挫折しない「打たれ強さ」を身に着けることができる。

打たれ強い自分になる。

支配・搾取のために使う言葉ではない

もしこの言葉を、あなたを支配したり、あなたの労力・能力を搾取したいがために使っている人間とは距離を置くべきだ。

ハラスメント、いじめ、ブラック企業による不当な労働条件。そして「若い頃の苦労は買ってまでした方がいい」と、理不尽なことをやらせるための常套句にしている訳の分からない上司などは本当に厄介だ。

まとめ

「若い時の苦労は買ってでもしろ」の言葉について考えてみた。
誰かにそう言われた時に反発することもあるだろうが、その人がどういうつもりで言っているのかを一度考えてみることをお勧めする。

筋トレの世界では、楽な負荷ばかりやっていても筋肉はつかず、少しキツイと感じる程度の負荷をかけてトレーニングすることが必要だそうだ。自分の筋肉をつけるための経験・苦労はしてもいいじゃないか。

一方、支配されているとか搾取されそうなどという場合は要注意だ。その人物の日常の言動を含めて観察し、よくよく確かめてみてほしい。

筆者としては「若い時の苦労は買ってでもしなくていいけど、目の前にやってきたらとりあえずやっとけ」だ。あまり色々言いすぎると老害になりそうだ。ここで辞めておく。